桶谷式の体験談

桶谷式の体験談

母乳は人作りには大切なものであることを知った私の体験

先生に治療を受けている患者ですが、あまりにも素晴らしい母乳の治療に感動してペンをとらせていただきました。
長男を人工栄養にして満5ヶ月目に腸重積で死なせました。
次男は非常に弱い体質を持っているにも関わらず、今まで病気らしい病気もせずに元気に育っているのを見るにつけ、治療後の母乳を飲ませることの有難さがしみじみとわかるのです。

産後は、張って張って鉄板のような乳房で、子供は吸いつけなくて泣いてばかりいるし、搾っても少ししか出ません。痛みに耐え切れなくて、他の人にマッサージを行ってもらうと、かえって張って痛くなるので、一時はどうなることかと思いました。

産後15日目、先生に治療をお願いしました。
あの鉄板のように固かった乳房が、柔らかいつき立ての餅のようになったと同時に、体がすうっと軽くなり、痛みが消えました。あの時の感激は一生忘れられません。
その乳汁をおいしそうに「ゴクン・ゴクン」と息もせず飲んでいる子供の満足そうな安心しきった顔を眺めるとなんとも言えなく嬉しいのです。

お乳が少しでも固く張ると子供は乳頭だけをなめて飲もうとしません。

乳輪が小さいのと、長男の時には、飲ませてなかったので、すぐに固くなり、身体中までが縄を掛けられたように重苦しく、夜間特に長い時間寝過ごしようものなら、パンパンに張って手のつけようもなくなります。
パンパンにしておくと、親の身体は、力が抜けたようになり、しめつけられるようでいたたまれなくなることが多いのです。
このように固くなった乳を飲ませていると、子供の機嫌が悪くなり、動作も鈍く目やにや湿疹が出たり、下痢をしたり心身共に不安定な状態となります。治療後は、身体をしめつけていた縄が外れる感じでスーッとします。
治療後の母乳を子供に飲ませたとたん、ハツラツとした表情になるのは驚かされます。
3時間授乳を守ること、高カロリーの食事を制限することが大切です。寒さや疲労によっても乳房が固くなってくることがあります。

母乳は人間の基礎を作る非常に大切なものです。あらゆる面で優れて価値のあるものだと言うことを理解出来ても、現実にすぐ固くなったり、張ったりする乳房の者にとっては、母親の賢明の努力だけで母乳栄養をやっていけるのでしょうか。桶谷法の普及が望まれます。
長男の時に全然出なかったお乳を、先生に治療をお願いしていたら、と思うと残念でなりません。
母乳を与える時の満足感。我が子を育てるという喜びは、ミルクを哺乳瓶で与える時とは比較にならないほど大きいものです。

次男は先生の素晴らしい治療と、誠意のある指導によって、安心して育てることが出来た上に、私自身の身体が非常に健康になったことに感謝してこの文章を綴らせていただきました。
子供におっぱいを飲ませる時、ほのぼのとした気持ちになるこの安心感が、子供の心に知らず知らず響いているのでしょうか。

3人目を母乳で育てる

私は、3児の母ですが、母乳だけで育てるのは今回が初めてです。
というのも私の乳房は小さく、入院中にお乳のよく出るという注射を、お医者様に毎日していただいていましたがあまり出ず、お乳は出ないものだとあきらめていました。

知 人より桶谷先生の話を聞き今度の子供だけでも母乳で育ててみたいと思い、出産後11日目より先生の所へ通いマッサージしていただいておりました。マッサー ジと共に、注射を3日ごとくらいに3回していると少しずつお乳の量が増えてきたので一時通うのを止めた所、またお乳の出が悪くなってきたので先生の所へ行 きマッサージをしてもらいました。
次の日よりお乳の状態がよくなってきました。

一時は、お乳が足りないのではないかという不安がいつも心にあり、不足分はミルクで補っていこうかと思ったりしていましたが、先生の励ましの言葉で思い直し、今では母乳だけで子供も順調に成長しております。

私は、母乳を与えることにより母としての愛情がより一層強くなったように思います。
前の、子供の時は辛かった育児も、今は苦にならずとても楽しく充実した毎日です。
母乳は、栄養面だけで優れているのではなく、母と子の心の絆がいっそう強くなっていく大切なものだと思います。この大切な母乳育児を、もっと世の人々に知っていただくためにも、桶谷先生の手技を伝えていってもらいたいと思います。
先生に治療を受けている患者ですが、あまりにも素晴らしい母乳の治療に感動してペンをとらせていただきました。

乳腺炎が頻発した乳房で我が子を健全に育てた私の体験

私は、次男にお乳を飲ませながら、長男の無心に遊ぶ姿に顔をおくる、幸せな母親です。
長男出産の際、病院では柔らかく小さな乳房なので母乳は出ないと言われました。(本当は、さし乳でよく出る乳房だったのです。)私は何の努力もせずにあきらめて、人工栄養で育ててしまいました。
ところが大きく生まれたはずの長男は、つぎつぎと病気をし、アレルギー性体質などで、未だに病院通いが続いております。こんなに弱く育てたことが申し訳なく、何度心の中で子供に謝ったことでしょうか!!

次 の子は、是非母乳でと願っておりましたので、入院中には、あの痛くて飛びあがるような乳房のマッサージをしてもらい、摂乳器で搾ったりしましたが、効果 がないばかりか、産後9日目にして右側の乳房が痛くてはれ上がってしまいました。(このマッサージは逆に炎症を起こすものだったのです。)

この時初めて、桶谷先生に治療をしてもらいました。先生の、何としても母乳にするべきであること、本当の愛情ある母親になりなさいと叱咤、激励された時のお顔の爽やかさを、忘れることは出来ないでしょう。

娘 時代に関節リウマチを患い多量の抗生物質(ストマイ等)を用いた私の身体は、疲れやすくあまり丈夫ではありません。そのためか乳房の深部の癒着がひどく、 何度か乳腺炎を起こしました。先生に、乳房深部の道をあけるマッサージをしてもらいますと、黄色くドロドロした膿状の乳汁が出てきます。乳腺炎になりまし ても、早期ならば桶谷先生は、細い一本の乳線に詰まっている脂肪球(乳栓)を何の痛みも感じさせずにとり除き、うっ滞している乳汁を出して下さいます。乳 栓が詰まり、乳汁がうっ滞しますと、固くこりこりになり、激しい疼痛が有ります。治療を受けた時は、一度に柔らかくなり、この時の爽快さは、書きあらわせ ません。

先生の早期治療(技術)のおかげで、薬物を要せず、切開もしないですみ、喜んでおります。
乳腺炎は、夜間の睡眠に大きく関係します。夜間でも3時間の間隔に、授乳することです。

第2に食事です。動物性蛋白質を多くとりますと(特に肉)乳汁がにごり、炎症のきっかけになるようです。
先生は肉、天ぷらなどは、発酵時間が早いために食べた日はいつもの日より短い間隔で、授乳する方がよいと言われております。私は乳腺炎を起こした直後は、食事に気をつけて肉などは控えております。
しかし、時々、乳腺炎になる私のお乳を飲んでいる次男でも、日増しに体重は増え、顔色もよくなり元気に育っております。

一 般常識では、乳腺炎を起こした乳房は、悪い乳が出るため、飲ませてはいけないと言われておりますが、悪い乳とは何でしょうか。悪い乳では、こうも元気に育 つはずがありません。桶谷先生の言われる毎日毎日変化、変動、のあるおいしい母乳で、かしこい、良い子に育てようではありませんか!!

母と子の愛情は何と微妙なものでしょうか。乳腺炎になった夜などは、2時間半間隔に起きるように、気を配っていますと、子供の方が、2時間ぐらいで私を起こしてくれます。
こんなにも母乳児は心のつながりが深いものかと嬉しくなってしまいます。
こんな喜びを与えて下さいました桶谷先生に感謝致します。

勤めながら母乳を与えることの出来た私の体験

人工栄養で長男を育て、母乳混合で長女を育てた私の体験から、母乳がいかに良いかを知りました。母乳の良さを少しでも皆さんに理解してもらえたらと思いペンをとりました。

長男が生まれた時でした。
母乳は出ないこともなかったのですが、職業を持つ私としては、母乳で育てることが自然におっくうになり人工栄養にすることになりました。
母乳が良いということは、私自身つねづね知らさせていたことなのですが…..。皆さんもこのような理由で人工栄養に変えたという方が多いのではないでしょうか。

それから2年後、長女が生まれ長男の時よりも母乳が良く出るのです。
私は一瞬とまどいました。これだけ出るのだから、産休の間だけでも、と思い飲ませはじめたのです。

しかし母乳で育てようと決心した私には色々な苦労が待っていました。
日中は人工栄養、朝晩は母乳と混合栄養にしながら働きに出ました。このようなことを繰り返しているうちに、乳腺炎を起こしてしまいました。
そこで桶谷先生を訪ね、マッサージを続けたのです。(生後5ヶ月)マッサージに通っているうちに、大きかった乳房の型もよくなりのみやすい状態となりました。
お乳の味も良くなって、子供に変化が出てくるといううれしい結果が生まれ、乳腺炎を喜ぶべきとも言えるくらいになりました。

それでは長男と長女を比べ母乳がいかに良いか、この目で見たことをお話します。
人工栄養の長男は、頭は大きく、また足は弱く短気です。先生がおっしゃった人工栄養で育った子供の特色と全く一致しているのです。母乳の長女の場合は、マッ サージにより乳の色も良くって1週間後、足首が細かったのもバランスがとれ、顔もしまった感じで、手足の運動も活発になるという変化を見るようになりました。
また予防接種にしても、機嫌を害するようなこともありませんでした。このようなことからあらためて母乳の大切さを知らされました。

母乳がいかに大切か、私は身にしみて体験し、長男の時になぜしなかったのかと、悔やまれてなりません。
職業を持っているからといって尻ごみしてはいけません。母であるものだけが知り得る苦労であり、努力なのです。
母親の温かい愛情を子に伝えるためにも、皆さん母乳をもっと見直そうではありませんか。

搾乳器の乱用で母乳不足を来した苦い経験

長男誕生の喜びも束の間、予定日より3週間も早く生まれたせいか、体重2,480グラムの低体重児でした。
そのため保育器に9日間入っていて、退院は生後15日目、それまでは私の乳房には一度も触れませんでした。その2週間の間、病院では未熟児は絶対母乳で育てなければいけないと言われましたが、赤ちゃんに飲ませることが出来ませんでした。

母 乳を毎日時間ごとに搾っていれば、催乳感覚がつくようになると聞き、搾乳器を使って1日7回~8回搾っていました。最初は搾乳器を使って搾ってもなかなか 出にくく、だんだん何回も使用しているうちに乳輪、乳頭が痛くてたまらなかったのですが、必ず母乳を搾らなくてはとそればかり頭から離れず、手段も選ばず そのまま使用していました。

そして赤ちゃんが退院してきて、私の乳房に始めて吸いつかせたのですが、乳頭が小さく、また左の乳頭が陥没しており、子供が小さいため吸いつく力も弱く、飲むことが出来ませんでした。

それで桶谷先生の治療を受けると、桶谷先生は、搾乳器を長く使っていたので乳輪の色が白っぽく変色し、固くなりやすく、右の方にはシコリが出来ておりました。
病院で搾乳器を使用していたため当然のように産後のお母さん達も使っていました。
私も安心して見よう見まねで使ってしまい、弊害があるとは夢にも思いませんでした。
なぜそんなに害のあるものが平然として使われているのか疑問でなりません。

治療を重ねていくうちにだんだん乳房も柔らかくなり、それに比例して赤ちゃんも吸いつき、左の陥没乳頭も吸うと1.5センチぐらいにのびて来ました。もし桶谷式マッサージを受けていなかったら、乳腺炎で乳房を切開していたと思うと背筋が寒くなります。
赤ちゃんも治療を始めて2週間ぐらいで完全母乳になり、飲み方も徐々に上手くなっています。
生後45日目で体重も4,434グラムになり、生理的体重減少から約2,000グラム増え、顔も丸くなって体にも肉付いたことが一目でわかります。
約2ヶ月で乳輪のシコリもなくなり色も少し茶色くなり、本当に先生のおかげで命拾いをしたと思っています。
全国のたくさんのお乳の病気で困っている人々が、桶谷式マッサージをすればよいと思います。

看 護師又は、助産師さんがするマッサージの痛さはなんとも耐え難いので、桶谷式マッサージをすればどんなにか母乳の出方も違ってくるのではないかと思いま す。1日も早く全国の助産師さんたちが桶谷式マッサージをマスターして、母乳で育つ赤ちゃんが1人でも多くなるように祈っております。

乳頭亀裂を治した私の体験

子供が生後6ヶ月になり離乳食も順調に進みはじめ、授乳の回数も量も少なくなりだした頃、風邪を引くと乳頭が張ったように痛く、母乳の出もだんだん悪くなってきました。
その内、寒さに向かった頃から乳頭の周りがカサカサになり、ひびわれたように切れるようになりました。その痛いこと痛いこと。
吸い付かれる時など、泣きたいくらいでつい授乳をへらしたりしていました。

そのうち少しずつ良くなり、また風邪を引くとぶり返すということが3度ぐらい繰り返された時、今度はとてもひどく乳頭の周りじゅうが切れてしまいました。 医者へ行きましたら「子供が風邪を引いているため口に熱がありそのためになるのでしょう」と言われ口内炎の薬をぬって下さるだけで、乳は一向によくならず 困りはてていた所、知人に桶谷先生を紹介していただき、わらをもすがる思いでマッサージを受けました。

そこで授乳の原理と乳房の仕組みを教えていただき、自分が母乳について無知であったことをつくづく恥ずかしく思いました。離乳食が進み授乳の回数が減ったため、母乳の飲む量が減り、いつも飲み残し状態となり、それが溜まって乳腺を細く詰まらせ母乳の出を悪くします。
そしてますます母乳が奥に溜まるようになり炎症を起こしたことにより、乳頭が切れるということの原因になっていたのだそうです。それからは3時間ごとに母乳を搾り常に新しい母乳を出すように心がけました。

桶谷先生へ通いはじめて3日目で、はや快方に向かいました。先日もテレビで乳ガンの患者の多くは、乳頭亀裂に一度はかかっていることを聞き、私も乳ガンにかかりやすい体質であったことを知り、マッサージを受けてよかったと喜んでいるのです。
もし桶谷先生を知らなかったら何年か先にガンになっていたかもしれないのです。

母親で子供を育てている人は、お乳のこの仕組みをよく知るべきだとつくづく思うのです。

桶谷そとみのアドバイス

体験例が示すように、産中の乳房の機能に反する管理は、母体に予想外の心理的、肉体的な苦渋を与えるもので、このことを医療従事者が十分に認識していないことを、本当に残念に思います。

乳房内のトラブルは、乳汁分泌機能が活動している時に起こりがちなもので、乳房の生体をよく理解し、授乳中の乳房管理が適切に出来るように配慮や指導をしてトラブルを予防するためにも、自然の摂理に順応した処置を心得ておくことが大切です。

分娩後は、乳汁分泌が急速に促進するという生理的な傾向がありますが、この時乳房は、緊満拡張し、乳頭、乳輪など授乳に大切な部分が硬縮して、赤ちゃんの吸飲を妨げ、乳汁の排出調整が出来なくなります。その結果乳汁がうっ滞して、発熱や疼痛を訴えるようになります。

乳汁不足の時には、母性本能や子供の吸飲欲をより理解した上で、乳房内の乳汁調整をはかるべきで、吸飲の具合とにらみ合わせて用手搾乳を行い、ため乳を防 止すると同時に、3時間授乳の厳守と、乳房の機能を高めるために、基底部位の用手剥離で流通をよくする手技を施すと、乳房の伸展がよくなり、赤ちゃんが飲 み易い乳房になって、乳汁うっ滞なども消失するものです。

桶谷式乳房管理法は、従来の乳汁促進法とは根本的に着眼点が違って、乳房の生理や自然の摂理に逆らわない所が、「理に叶う」として世の人々から高く評価されているのではないかと思います。

産中期の乳房のトラブルは、乳腺炎の訴えが多いのですが、乳腺炎には細菌感染によるものと腐敗性のものの2種類があり、大半は腐敗性のものです。

一般の治療法は消炎剤の投薬ですが、時には薬のためにシコリが残り、乳汁の流通を阻害して母乳の出を悪くしてしまう例もあります。腐敗性乳性炎の場合は、 なるべく薬は使わず、乳房内の流通をよくすることが重要なポイントで、搾乳操作と、全排乳口を開通させるようにして治療します。

一方、乳児の吸飲を悪くしている原因には、舌下帯短縮症(乳児の舌小帯の先方付着)や陥没頭、巨大乳頭など、乳頭の異常や乳頭乳輪部の伸展不良、乳房の緊 満硬調による乳腺圧迫などもあります。また、産中に乳房が張ったからといって搾乳器を使用すると、乳頭、に裂傷や亀裂が出来たり、乳輪部が膨張したり、肥 厚してしまう原因になり、乳児が吸飲しにくかったり、乳頭が傷んで飲ませられなくなるために、乳汁分泌の仕組みを乱してしまいます。それが乳汁不足を招く こともあります。

※よく「桶谷式は”舌小帯を切る”のを勧める」と言われていますが現在の所、将来障害を残す可能性がある子以外には勧めておりません。

重症障害児を、母乳で克服健康児に育てた私の体験

3月6日 普通分別で、無事待望の男児出産、体重3,270g。
その喜びもつかの間、我が子は、翌早朝、新生児センターへ即入院となってしまいました。

私自身は産後の経過が悪く40度の熱が続いていたため、2週間程して知らされたことによれば我が子は、原因不明のけいれんと脳内出血を起こし「このまま続けば、最悪の場合重症障害児となり、廃人同様でしょう」と担当医より宣告されたとのことでした。

しかし、幸いけいれんも出血もすぐ止まり、最悪の危機は乗り越えました。
それから退院までは、母乳がよく出て助産師さんに「赤ちゃんが来るまで、3時間ごとに搾乳器で搾らなければ止まってしまう」と言われ守っていましたが、やはり4回程乳腺炎となり、薬と注射で抑えるという毎日でした。

我が子には後遺症という問題が残っており、一応あらゆる検査をし、退院の時は、普通の子と全く変わりないと言われました。しかし、体重は標準児2/3程、ミルクお量も非常に少なく、こんなで大丈夫かと心配でした。
先生が、「後は、育てていきながら見て行きましょう」と言われ、生後3ヶ月目、帰って来たとたんに母乳が止まってしまいました。近所の方に桶谷式乳房治療院 を紹介され、またこのような子程母乳で育てなさいと言われた担当医のことを思い出し、尋ねてみましたらその日からよく出るようになりました。

しかし、出るようになりましたが、我が子は、母乳とミルクを同じと思い、育児書通り3ヶ月で1日5回と、そして夜は飲ませませんでしたが、驚くことに赤ちゃんは眠っていても乳首を持って行くと、一所懸命吸い付いて飲みました。

私の乳は3ヶ月間も手で搾らず、搾乳器を使用したために乳首が大きくなりすぎていました。
また乳腺炎を薬と注射で止めたシコリがありましたために固くて吸いにくいのです。
長い時間搾乳器で痛めた乳は、ちょっとやそっとでは治らず、桶谷先生の手技 を受けても、寝過ごしたり、食事が悪かったりするとすぐ変質、軽い乳腺炎を起こしたりして元に戻るのに4ヶ月近くかかりました。
その間に我が子は、寝返りし、お座りも出来るようになり順調な発達をしてゆきました。私の乳質が良くなってくると同時に、頭も角張っていたのが少し丸みをおび、顔つきもしっかりして変わって来たと皆に言われました。

医 師から普通の子と変わらないと言われていたのですが、他の子と比較してみるとやはり、脳内出血が影響しているのでしょうか、体重は、母乳児の標準よりも下 回っているのに頭ばかり大きくて手足がその割に小さいのです。顔には湿疹が出来、一向によくなりません。動きがどうも鈍いと桶谷先生に言われていました。

7ヶ月目の時、検診のため、連れて行きましたら順調な発育で見違える程と、とっても喜んでおられ、母乳の話をしましたら、良いことですから飲ませなさいと言われました。
そうしているうちに、1年近くなって来たのでもう大丈夫ではないかと気が緩み、また、お正月や大雪で、行ったり行かなくなったりで、それまで部分的だった湿疹が、赤くはれて顔中に広がりました。
11ヶ月目でしたが、まだ1人で手を離して立つようになり、顔の湿疹も、うそのようにひいて来たのです。

それから手技を受けました。日ごとに後頭部の両側が角ばって大きく見てたのが、角がほとんどわからなくなってしましました。動きの方も活発となり少しの間も目が離せない程になりました。

育児書やほとんどの医師が、6ヶ月を過ぎたら、母乳からミルクへ変えるように述べていますが、桶谷先生の提唱される「人間と動物の違いは2本足で歩くこと、 だからそれまでは母乳を与えるのが1番良い」という考えに基づき、今は、歩くまで新鮮でおいしい母乳を飲ませようと思っています。そして、母乳を与えなが ら歩いてくれる日を楽しみにしています。

最後に乳児を持つお母さん方に、世にたくさんある育児書のほとんどが、母乳はせいぜい飲ませて半 年まで、それ以降は栄養が無くなるので止めるように、また8ヶ月以上は、絶対飲ませると害になり、と書かれていますが、前述しましたように、いかに新鮮で おいしい母乳が、育児に与える影響が大きいかということがおわかりいただけると思います。

そして、ただ母乳が出ると言うのではなく、新鮮 でおいし い母乳(桶谷式母乳手技を受けて出る質の良い)が、大きく作用し、現在どこの乳児検診でも標準体重ばかり気にして、それよりも足らなければだめで、大きけ れば大きい程良いとされてます。また私たちもそれに染まり、体重さえ増えれば安心してしまっています。

これは大変大きな間違いで、体重を増やすことはいつでも出来るのであって、外見上いくら大きくなっても、中身の伴わない子では、将来全く不安です。
そこで、未熟児や我が子のように障害児になるかもしれないと言われた時、桶谷先生の提唱される質の良い乳を飲ませることが非常に大切なのです。

このことを痛切に感じるのは、そのような子を持った親で無ければ、なかなかわからないと思うからです。
桶谷先生は、一生不具合で終わるかもしれない子達を、1人でも多く救いたいと思っておられます。

そのため、手技を受けた新鮮な母乳というものがいかに大切であるかを理解してもらうように、お忙しいお仕事のかたわら本を出されたり、関係者に働きかける運動をしておられます。

お世話になった患者の1人として、微力ながらお役に立てばと思いペンをとりました。

乳腺炎にかかり、初めて母乳育児の大切さを知った私の体験

私は26歳で、男児2人の母親です。上の子供は4歳で、人工栄養で育てました。今年の5月に下の子供を出産して以来、思いもしない母乳が出るようになり、現在も母乳で育てています。

3ヶ月頃からそろそろ離乳食を始め、今では果汁・おかゆ・何でも食べるようになりました。
ところが先日以来、子供が風邪をひいて母乳を飲まなくなり、私は乳腺炎にかかりました。初めての病に倒れ、こんなひどいとは知りませんでした。

その症状は高熱・頭痛・寒気・乳の痛み(指でさわることも出来ないくらいの痛み)で、本当に大変でした。

それで知人に聞き、この桶谷先生の所へマッサージに来ました。
どんなに痛いだろう、しんぼう出来るかしら、と不安でしたが、全然痛さも感じずに楽々と母乳を搾られ、本当に不思議でした。

初めて自分が間違った治療をしていたことに気が付きました。
乳先だけを搾れば良いのに、乳全体を手で押すように搾っていたこと。搾る機械を使っていたこと。
搾乳器は乳の先がはれて使ってはいけないこと。乳房が張り痛いので、冷やせば良いのに反対に暖めて風呂に入ったりしたこと。右の乳房が小さく乳の出が悪いので、左側だけしか飲ませないでいたことなどなど。
これらの原因が一層炎症を起こし、悪い結果を作りました。

私の場合の乳腺炎は初期の症状ですが、これがもっと重くなると化膿して手術をすることにもなりそうです。
マッサージに通い出してから1日1日と良くなって来ました。今では飲まなかった片方の乳房も上手に飲むようになり、本当に喜んでおります。

母乳は出るのに飲ませないでいると、母親の体重が増えると聞き、上の子供も母乳で育てていればこんなにも太らなかったのに…と、今更ながらに後悔しています。

母乳の知識1

2,950gの女児を出産致しました。
私が出産した病院では、出産したその日からお乳のマッサージをしてくれ、その次の日から授乳を始めます。私は初めからお乳が出る方なのか、赤ん坊は、ゴックン、ゴックンと上手に飲んでくれました。
その時の喜びと幸せは、何にたとえようのないくらいでした。

それも束の間、4日めぐらいでしたか、お乳の張りがひどくなり、お乳もたくさん出るようにもなりました。
授乳は3時間ごとで、飲ませた後に搾乳器でよく出しておきなさいとのことでした。病院にいる間、毎日痛いマッサージを受けました。2時間とたたないうちにまた張って来るお乳の痛さに、夜も眠れないくらいでした。

1週間が過ぎ家に帰り、ますますお乳が辛くて病院で教わったマッサージを自分でして搾乳器で搾っていましたが、痛みはとれず、母となった喜びどころではありませんでした。
病院へ行ってみてもらいましたが、よくわからない様子であまり相談にはのってもらえませんでした。

桶谷先生の所に来た時には、3週間が過ぎていました。
先生に診てもらいました所、乳腺炎を起こしており、やたらにしたマッサージでお乳もはれ、組織を痛めているとのことでした。私は、お乳とはこんなに大切なもので、やたらマッサージをしたらいけないことを知りました。
そして、母乳がどれほど子供にとって大切なものかを先生のお話で知ることが出来ました。

こんな辛く痛いお乳ならいっそ出ない方が良いと思ったくらいでしたが、先生のマッサージによって、日一日と痛みもなくなり、はれも引いてきました。
先生がしかって下さったり、力づけて下さらなければ、私は挫けてしまっていたことでしょう。

はや1年になろうとしています。子供も大きくなりました。
先生のおかげでとても良い子に育ってくれ、顔色も良くなり喜んでおります。子供がお乳を飲んでいる時、ふと先生にお遭いしていなかったら、子供もこのおいしいお乳を飲むことが出来なかったんだろうなと思うと、子供の顔を見て「よかったね」と言いたくなります。

先生本当にどうも有難うございました。

母乳の知識2

私は11月19日に産婦人科で無事男児出産し、はや1ヶ月余り。
母乳が最適だと聞いていましたので、生まれ4日目から乳房マッサージをしていただきました。しかし、苦痛の思いをしながらも、子供のためと我慢していたマッサージのかいもなく母乳は出ません。

それに、初めから乳首が出ていなかった私は(陥没乳頭)妊産婦の本などを読み妊婦5ヶ月頃から、自分でマッサージしたり、乳首を無理に引っ張り出したりしていました。
それでも他の人のように形よく出て来ません。子供も吸いにくく泣く一方。

ようやく吸ってくれるかと思うと、今度は吸い場所が悪かったためか乳首が切れてしましました。その痛さは何事にもたとえがたく、そうなるとついつい飲ませたくなりました。
もともとあまり出ないオッパイだからと安易な考えが乳腺炎を引き起こしてしまったのです。

病院では、乳首が出てないからだと搾乳器を奨励され、機械でばかり摂っていました。お乳はますます大きくなり、中に鉄板でも入れてあるかのように、上から押さえても弾力はありません。
しまいには洋服も着れず、子供を抱くことさえも不可能になり、毎日、泣き暮らす日が続きました。

そんな時、桶谷先生のことを近所の人に聞き、ワラをもつかむ思いで、先生の家を訪れました。
チョットさわっても痛いのに、マッサージをしたらさぞ痛いだろうと覚悟を決めていたのに、痛くなくて拍子抜けしました。本当にさわっていらっしゃるのかと思うくらいでした。

今では、以前の痛さも夢のように楽になりました。
乳首も前の大きさの半分になり、吸いやすくなりました。子供に飲ませるのもひとつの楽しみになり、喜びもひとしおです。これからは、2度と同じことを繰り返すことのないように、また知らない人に教えてあげようと意気込んでいる私です。